プロフィール

はじめまして。モリベユリです。

福岡県に住む1987年生まれのシングルマザーで、
実家で5歳の娘を育てています。

職業はInstagramなどでの情報発信業、Webライター、コーチングなどをしています。

 

…と言うと、
「あ~好きな仕事やってます系ね?」

と思われそうですが、その通りです。←

その通りではあるのですが、ここに至るまでには
葛藤、挫折、の連続でした。

どうしようもない人間で、どうしようもない人生を送ってきた私。

「こんなヤツでも好きなことして子育てしながら、楽しく生きられるんだな…」

と、あなたの希望になれば幸いです。

 

空気が読めず、いじめに遭う

子どもの頃の私は、「空気が読めない子」でした。

  • クラスの話し合いの終盤、まとまりかけているのに新たな問題を提起
  • クラスのムードメーカーにやってほしいとみんなが思っている役割に、自分がやりたいという気持ちだけで立候補
  • 女子は同じグループの友達に直接注意・指摘をしない、という暗黙の了解を無視してずけずけと物を言う

といった具合に。

 

中学2年のとき、とうとういじめに遭いました。

同じグループに万引き自慢をした子がいて、「それはれっきとした犯罪だし、それを誇らしげに話すような人と仲良くはできない」と言ってグループを抜け一人で行動するようになったところ、嫌がらせが始まったのです。

実は最初、いじめられていることに気づきませんでした(笑)

されていたのが「私に聞こえるか聞こえないかぐらいの小さい声で悪口を言っては、こちらをチラチラ見ながらクスクス笑う」みたいなしょうもないことだったので、なんか感じ悪いな~ぐらいにしか思ってなくて。

他のクラスの友人に「それ、いじめやん?」と言われて初めて自覚しました。

このしょうもないいじめは、幸いわりと短期間で終了。(そのグループの子たちが逆に男子グループからいじめられだしたことをきっかけに)

しかし生きづらさを感じるには十分な経験となりました。

 

不適応を極め、高校中退へ

中学時代は成績優秀でした。

それは元が賢かったわけではなく、持ち前の空気の読めなさを発揮(笑)して休み時間も好きな勉強をしたり、先生を質問攻めにしたりと、とにかくガリ勉タイプだったからです。

「この成績ならC高行けるよ!」と周囲のおだてに乗せられ、深く考えることなく学区内の県立で1番偏差値の高い進学校へ入りました。

 

が、これが大きな間違い。

私にとっては「楽しく勉強した流れでなんとなく入った進学校」、でも周囲はその先の大学進学も当然見据えて入ってきた、各中学のエリートたちでした。

「わかりません」「そこ、もう一度説明してください」と私が授業を中断させる度に漂う(黙って聞いてろよ…)という不穏な空気。

空気が読めない私もさすがにみんなに申し訳なくなり、質問は授業が終わってからするようになりました。

しかしそれもあまりに繰り返しすぎて、今度は先生からもあしらわれるように…。

 

友達はできたものの居場所のなさを感じるようになり、部活(応援団)に入ったりもしましたが、その気持ちは埋まりません。

 

高校2年の6月、とうとう「うつ」の診断が出ました。

登校はできたりできなかったり、できても数時間だったり。

2年の終盤は「数学と地理が危ないぞ、あと3回休んだらアウト」などと担任にカウントされつつ(笑)、這うように登校していました。

いろんな計らいがあり単位は落とすことなく留年は免れましたが、こんな生活があと1年続くのはどうしても耐えられず、2年の3月に中退しました。

 

学ぶ楽しさを思い出す

中退から半年後、定時制高校に編入しました。

前籍の進学校とは打って変わった自由な校風のそこは、ゴスロリがいたり、黄緑色と金色のハーフ&ハーフ頭の子が廊下を全力で駆け抜けたり、生徒同士が授業前に政治や経済について語り合ったり…

つまり見た目も中身も個性爆発な生徒がゴロゴロいて、それを互いに認め合う校風でした。

なんて居心地がいい…!

編入当初こそ過呼吸で倒れたりもしましたが、徐々に落ち着いてきました。

 

この高校で私の個性を認めてくださる恩師に出会い、少しずつ自信を取り戻していきました。

また、高校ぐらい出とかないとと思って入った定時制高校でしたが、「やっぱり大学に行きたい!」と思う程度に学ぶことの面白さを思い出すようになりました。

(進学校に通っていたときは少しも思わなかったのに!)

 

入試で戦える教科が国語と英語ぐらいしかなかった私に、授業や会議の合間をぬってAO入試対策をしてくださった先生のおかげで、志望校に合格。

大学では哲学を専攻し、楽しく4年間過ごすことができました。

 

ポンコツ会社員。「普通に働くこともできない…」

就活には少々苦戦しつつも、なんとか内定はもらえました。

そこは中小企業経営者団体の事務局。

最初こそ使命感に燃えていたのですが…

 

とにかく私は社会人としてポンコツでした(笑)

  • 優先順位がメチャクチャ、思いついたことから始めてしまう
  • 大勢の人がいると何をしていいかわからずフリーズ
  • 相手が放った言葉の真意を読み取れない

こんな調子なのではりきればはりきるほど空回り。

最初のはりきりはどこへやら、次第に「ちゃんとしなきゃ」「普通にこなさなきゃ」と縮こまるようになっていきました。

 

気持ちの変化はからだにも現れます。

大勢の人が集まる会議の前は不安のあまり頭痛、吐き気。

忙しくなるほど手は震え、息はあがり、立っているのもやっとといった具合…。

 

とうとう入社2年半でドクターストップがかかり、休職しました。

その後復帰しようと何度か職場に出向くものの、その度に震える始末。

休職から半年後、復帰することなく退職しました。

 

「そうだ!好きなことをしよう!!」

休んでいる間、ずっと考えていたことがありました。

それは「私は志で働くと身を滅ぼす」ということです。

オンオフの切り替えが下手で、休みの間もずっと仕事のことを考えてしまうため、強い使命感がかえって自分に負荷をかけてしまうことを社会人の3年間で痛感しました。

次は社会の役に立つかなんて考えない、とにかく自分が楽しくできる好きなことを仕事にしよう。

 

そう考えた私はとにかく好きなことを書き出し、行きついたのが「モデル」でした。

学生時代ちょろっと手伝いでやった経験があったのですが、とはいえその時すでに26歳。

遅すぎるだろと思いながらもやけくそで10社ぐらい書類を送ってみたところ、唯一返信がきたとある福岡のタレント事務所のモデル部門に所属することになりました。

 

とはいえ駆け出しのモデルなんて全然稼げません。

交通費が出ればいい方、ノーギャラだって当たり前!「経験を積めるんだから、ノーギャラでも出させてもらえてありがたいでしょ?」という世界です。

そもそもそれまでズブの素人だった26歳を事務所が売り出してくれるはずもなく、仕事は月に1つあるかないか…

なので自ら名刺を作り、いろんな場に出向いては必死に営業していました。

 

営業しても、到底食べていける稼ぎには至りません。

貯金を切り崩しながら「どう稼ごう」と悩み10か月ほどたったころ、妊娠が発覚。

大きなお腹ではモデルの仕事にならないので事務所は退所し、なし崩し的に専業主婦になりました。

 

結婚生活もうまくいかず、シングルマザーに。どう育てる!?

2015年夏。無事に出産し一児の母となりました。

娘はとにかくかわいくて、愛おしくて、幸せなのですが、夫との関係はうまくいかず…。

どううまくいかなかったのかはInstagramでまあまあ赤裸々に発信しているのでここでは割愛しますが、半年以上は悩んでいました。

 

ここで離婚を選択するのは身勝手?
ひとり親になったら娘はかわいそう?

悶々とした日々の中、離婚にまつわるさまざまなことを検索していたところ、とあるブログを見つけました。

それは私ととても似た境遇を経て、調停離婚をした方のブログ。

手続きの方法から当時の心境、現在の幸せなそうな暮らしの様子までつぶさに記録してあり、私は夢中で、必死に読みました。

全ページ読んだんじゃないかな?(笑)

そのブログ(残念ながら既に閉鎖されているようですが)のおかげで決心がつきました。

 

むしろこのまま不穏な家庭で育てる方がかわいそう、
私には娘を幸せにする義務があるし、私自身幸せになる権利がある。

そう考え、娘が1歳3ヶ月のとき、荷物をまとめて実家へ。

それから4ヶ月後、裁判所での調停を経て離婚が成立しました。

 

実家に出戻ったシングルマザー。

これで安心して毎日楽しく育てられる~\(^o^)/

…なんてのんきに言っていられません、無職ですから!!仕事、どうしよう!?

 

「好きを仕事にしたい」という思いも持ち続けていた私は、ミシンが好きだったので洋服のリフォーム屋にパートで入りました。

腕を磨いて将来洋裁関係の仕事をしたいと考えていたんです。

しかしリフォーム屋の時給は、福岡の最低賃金と同額。

パートではとても自立できる稼ぎにはなりません。

昼間はリフォーム屋で働き、夜はクラウドソーシング(在宅でライター)の仕事をする生活をしていました。

 

「稼ぎたい!!」だけではうまくいかない…

「これでは体がもたないし、内職みたいな稼ぎにしかならない」

そう考えた私は、本屋のビジネスコーナーで見かけた副業に、いろいろと手を出します。

  • 中国輸入物販
  • 国内転売
  • ブログ

ブログはさほど費用をかけずに始められましたが、中国輸入と国内転売は…コンサル費用や勉強会への交通費などを含めると、総額100万円以上使ったと思います(笑)←今だから笑えますが

それだけお金を使っても、大した利益は出ません。

うまくいかなかった原因、今ならわかります。「そもそも好きじゃなかった」から。

 

私も自分なりに一生懸命やっていたつもりでした。

でも物販が好きで好きでたまらない人たちは、商品のリサーチにも商品ページ作りにも没頭してるんです。

四六時中そのことばかり考えるからいいアイディアもひらめくし、どんどん改善もできる。

私が「自分なり」にがんばったところで到底勝てないんです。

好きじゃないことはどうしたって、四六時中考え続けて、工夫して、改善していくことができないから…。

 

「好きなことを仕事にしよう」と考えていたのにいつの間にか「もっと稼ぎがほしい」という理由で物販を副業に選んだ結果、在庫管理や仕入れに追われてただただ忙しくなっただけで豊かにもなれませんでした。

 

「好きなこと」と「求められていること」両方追求することはできる!!

ブログも全く芽は出ず、1円すら稼げていませんでした(笑)

それでも書くことが好きなので続けていたんです。

人のブログを読むのも好きだったので、子育て、美容系、ビジネスなどさまざまなジャンルにわたって読んでいました。

「ジャンルは違えど読まれるブログには共通点があるはず」

「そんなブログと自分の記事の違いは…?」

読んで読んで読んで、考えては試して、結果を見てはまた考えて、試して…。

 

続けるうちに、私には読む人への配慮が足りていなかったことに気づけました。

紹介したい商品を選び、これがほしいのはどんな人?悩みは?何て検索する?

PCの画面の向こう側にいる読み手の人を想像しながら書くようにすると、これが不思議と余計に楽しくなって!

 

読み手を意識した記事をコツコツ書き続けるうちに、アクセスは少しずつ伸びていき、開始から約5ヶ月目で、会社員時代の約2倍の収益を達成することができました。

 

物販は約2年続けたところですっぱりやめてしまいました。

「稼げるかも」で始めた物販は「好きなこと」ではなかったため、どうしても一生懸命になれず最後まで中途半端だったのです。

また、洋服のリフォーム屋は楽しく勤めていましたが、どうしても子どもと過ごす時間が短くなるので辞めてしまいました。

 

そうして今は、ブロガー(他諸々)として毎日PCに向かいながら、子どもとゆっくり向き合う時間をとれるようになりました。

 

ポンコツだった私が、シングルマザーの希望の星になる!?

どうですか?わたしの半生。メチャクチャでしょ?(笑)

これだけ長々と語ってもまだ書ききれないほど、山ほど挫折をしてきました。

しかしその全てが、今につながっています。

失敗のおかげで今、好きなことを仕事にしながら子育てを楽しめているのです。

 

かつての私のようにパートナーとうまくいかず悩んでいる人が、きっと今もどこかにいると思います。

私が見ず知らずの方のブログで助けられたように、今度は私が誰かの背中を押したい!

いや、せめてちょっとさするぐらいになれたら…そんな思いでこのブログを開設しました。

 

かつての私のように生きづらさを抱えているあなた、

シングルマザーになって自分の全てを犠牲にして子どものために働くあなた、

経済的な不安から離婚に踏み切れないあなた、

 

大丈夫です。

こんなポンコツだった私でも、自分の「好き!」「楽しい!」を犠牲にせず、子育てができているんですから^^

一緒に人生楽しんで、子育てしていきましょう!!